責任者 水谷玄
段位/参段 3.Dan
氏名:水谷 玄(みずたに げん)
生年月日:1978年6月19日生
出身地:兵庫県
入門年:1995年極真会館入門
身長:178㎝
体重:88㎏
特技:突き・下段・胴回し回転蹴り
趣味:釣り
プロフィール
兵庫県生まれ。明るい性格でみんなの人気者。小学校時代はサッカーをしていた。
17歳の時に当時の極真会館(松井派)に入門。
高校卒業後、18歳でオーストラリアへ留学。
オーストラリアでは極真会館の第28、29回全日本大会で旋風を巻き起こした超人ギャリー・オニールが指導する有名なブリスベーン道場に入門し修行を続ける。
帰国後は更なる空手修行を全うするため、不動の王者と言われた数見肇を筆頭に緑健児、八巻健志、塚本徳臣など極真史上に残る多数の世界チャンピオンを輩出した名門、極真会館(松井派)東京・城南川崎支部へ移籍し、大井町支部(金子雅弘師範)の内弟子となる。
内弟子時代には、選手及び指導員として後輩の指導に従事しながら、城南支部の朝練で、数見肇ら精鋭達と共に汗を流していた。
その後、東京城南川崎支部は、創始者、大山倍達の武道空手の理念と原点である極真精神をあくまでも正しく継承するため、極真会館(松井派)を脱退した。
そして、新団体、極真館となったことで、水谷もこれに賛同し極真館へ参加。
2004年6月には中国武術と交流の為、極真館の代表選手の1人として中国へ渡り、中国散打との交流試合を披露した。
その翌年の2005年11月に開催された第3回全日本選手権大会では、強豪がひしめく中、準決勝まで進出し、同門の後輩で2006年の第4回全日本王者に輝いた藤井脩祐と激闘を繰りひろげ見事4位入賞を果たした。
2006年4月には、大観衆が見守る中、極真史上初となった手技による顔面攻撃を含め、投げ寝技と絞め技を有効にした真剣試合を、水谷が初めて披露すると共に勝利をおさめ、極真史に足跡を残した選手である。
おもな戦績
試合年月日 | 試合名 | 結果 |
---|---|---|
2004年 | 南東北大会 一般上級の部 | 優勝 |
2004年12月16日 | 東京城南地区冬季交流試合 一般上級の部 | 優勝 |
2005年6月5日 | 第4回オープントーナメント全山陰空手道選手権大会 | ベスト8 |
2005年11月23日 |
第3回オープントーナメント |
4位 |
2006年4月 | 極真空手界初となった手技による顔面攻撃フリーとしたルールでの試合を披露し見事勝利をおさめた | 優勝 |
押忍!!(オスッ)という言葉の意味
空手の挨拶は、押忍!!(オス)と言っています。
一般的には、何か違和感があるような言葉に感じられるかもしれませんが、この押忍!!の意味の捉え方には様々な説がありますが、極真空手での押忍は感謝・尊敬・忍耐と言う意味があります。
人間は生きるために1人では、決して生きて行くことはできせん。
今の自分があるのは、親そしてご先祖が残してくれた数えきれない多くの恩恵によって今の生活が成り立っていいます。
人間一人一人がいつも感謝の気持ちを持ち・人に対して優しさ、そして尊敬の念を持ち・自分に対しては忍耐と寛容の精神をもって望む事を意味するのです。
押忍と言うたった二文字に、これだけの意味を凝縮した形で、表現しているのです。